2005-01-01から1年間の記事一覧

たまには日記2(論文と不幸)

長い間取り掛かっていた論文がやっと95%くらい完成。あとは序文をでっち上げるだけ。 手がかかる子ほど可愛いというか、この論文はかなり苦労したので手を離れる感慨もひとしお。内容的には三ヶ月ほど前に完成していたのだけれど、日本語で小説の論文書くの…

ドイツ写真の現在/アウグスト・ザンダー展

最終日の駆け込みで、「ドイツ写真の現在」展に行ってきました。目当ては若者らしくヴォルフガング・ティルマンス。けれどなかなかドイツの現代写真家の展示は興味深かった。以下、見てない人にはさっぱりわかんないだろうけれど簡単に各人ごとにコメント。 …

稲川方人『たった8秒のこの世に、花を/画家・福山知佐子の世界』

――敬愛するA.Nに捧げる。 ――――――― 路傍に育つ草、トタンの錆、深夜の路地に生きる飼い主を持たない猫たち、そして野川に立ち枯れている草木や朽ちようとしている花々。これら小さな、か弱い生命に、みずからの「絵画」の原理を見つめて、画壇のアウトサイド…

たまには日記1(マジック・タイムと通信簿)

※この日記は約一週間前に書いたものですが、記事の見易さのために移動しました。 ――――――― 徹夜明けの朝が好きだ。正確に言えば、朝になる直前の、完全な闇から気づかないうちに空が紫色に染まっていく、写真用語でマジックタイムと言うその時間*1。 この時間…

★ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』3

航海の最後に悲劇が待ち構える。不運な飛行機事故で、ネッドが命を落としてしまうのだ(ちなみにその飛行機にはネッドとスティーヴが乗るのだが、彼らの搭乗の直前にクラフトがネッドと和解する)。 ネッドの葬儀で、スティーヴの出て行った妻の元夫(彼女が…

★ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』2

スティーヴが無精子病だという彼の元妻の告白は、必然的にネッドが彼の「本当の」息子ではないということを意味することとなる。かくしてネッドとスティーヴの関係は、血縁関係でもなく、育ての親子というものでもなくなることとなる。ではこのとき、二人の…

★ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』1

父と子、というテーマに惹かれだしたのは、この冬からのことだ。専門の小説家で論文を書いているうちに、「エディパルな敵意を捨てて、父を引き受ける=愛するようになるっていうのはどういうことなんだろう(そんなことは可能なんだろうか)」ということを…

ウディ・アレン『世界中がアイ・ラブ・ユー』2

簡単にあらすじを。 1996年と比較的新しいこの作品は、語り手(女の子)、その姉、双子の妹、弟、母、再婚した夫(語り手以外は皆この夫の子供)という大家族*1、そして語り手の父にして母の元夫(ウディ・アレン)それぞれの恋愛喜劇を巡るミュージカルとな…

ウディ・アレン『世界中がアイ・ラブ・ユー』

友人がそのまた友人から招待券をもらったというので、授業をサボって久石譲+新日本フィルのコンサートに行ってきた。「十二月の恋人たち」(!)と題されたこのコンサートは、ほぼ全編僕の好みの古典的でロマンティックな映画音楽で、(久石音楽といえばジ…

★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』4

絶望の中、ハンバートはロリータに自分の財産をすべて与えると、彼女のもとを去る。そうしてしまうと彼にはロリータを連れ出した男への復讐しかすることが残されていなかった。結局彼はその男を殺し、それによって投獄されることとなる。だが、そんなことは…

★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』3

ある日、ハンバートがふと目を離している間にロリータが姿を消してしまったことがあった。ずっと恐れていた彼女の逃亡がついに実現したことを確信するハンバートだったが、奇妙なことにロリータは再び彼の前に姿を現した。 後年私は、彼女がなぜあの日永久に…

★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』2

正確には、ハンバート(とロリータ)の第一の旅はここから始まる。彼らは一年間に亘って広くアメリカ各地を放浪し、安モーテルに泊まり、その度に愛し合う。ハンバートはロリータをわがままでなかなか言うことを聞かない存在だとみなすが、巧みな語り口によ…

★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』1

ヘレンは帰ってきた。玄関の段の前に立ち、頭を垂れ、嵐から逃れるために。出て行った道をたどって戻ったのではなかった。あれだけのものを見た後で、どうしてそんなことができるだろう? 「ごめんなさい」と彼女は言った。「心をなくしちゃったの」 (リチ…

とりえんなーれにいったこと。

じゅういちがつ じゅうはちにち (きんようび) このあいだのにちようびは、よこはまのとりえんなーれにいきました。 はいったら、おおきなぱいぷのはしがあった。うわあ、おおきいなあ、とおもってみていると、おにいさんやおねえさんが、てにもったぼうで…

★Walter Benn Michaels, _The Shape of the Signifier_2

フランスの暴動、あるいは9.11以降の一連のテロリズムを(もしこれらが平行して考えられると仮定して、だが)単にアイデンティティの承認をめぐる争いと見做すことは、現在の自由資本主義(「帝国」)のあり方そのものに対する彼らの疑い(というよりはもう…

★Walter Benn Michaels, _The Shape of the Signifier_1

フランスの暴動は、徐々に収まってきているみたい。警察による暴力に端を発したことからロス暴動を思い浮かべる向きも多かったようだけれども、当時との時代的な風潮の違いは強く、内相の「社会のゴミ」発言が過半数以上の支持を得るといったわけのわからな…

宮地尚子『トラウマの医療人類学』2

だが帰国後宮地は、友人のカナダ人医師からフィールド・ワークで出会ったソマリア人少女を養女にしたという話を聞くこととなる。『ウェルカム・トゥ・サラエボ』という映画化された本にも似たような話があったことを思い出した宮地は、子供たちを「救い出し…

宮地尚子『トラウマの医療人類学』1

二年前の夏、東南アジアでバックパック旅をしたことがある。二ヶ月弱の間、最初は三人、それから二人、最後には一人になって*1、タイ・カンボジア・ベトナムを遺跡中心にふらふらと回っていた。 旅に出る前から決めていたことがあった。物乞いをしてくる人に…

ウィリアム・サローヤン『パパ・ユーア・クレイジー』

昨日の日記を書いてから食べ物が美味しそうだった小説って何があるかな、とぼうっと考えていたのだけれど、最初に思いついたのは(このブログのコンセプトである)旅の小説ではなくてなぜかウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーア・クレイジー』*1だった。…

アントニオ・タブッキ『レクイエム』2

昨日の日記でも取り上げたのですが、タブッキについてもう少しだけ。 「よそもの」として街をさまようことは、言葉だけでなくあらゆるものを異化(普段慣れ親しんだ感覚とはちょっと違う違和感のようなものを味わうこと)することになります。ヴェンダースに…

アントニオ・タブッキ『レクイエム』1

ペソアつながりということで、イタリアの小説家アントニオ・タブッキについて。 そもそも小説家として一家をなすまでは、二十世紀最大の詩人の一人と呼ばれるフェルナンド・ペソア(ポルトガル人)を翻訳・研究しイタリアに紹介したことで知られていたタブッ…

ヴィム・ヴェンダース「リスボン物語」2

記憶を映像メタファで語ることは、もはや一種のクリシェになった。ビデオカメラを持って歩き回った記憶は、残っている映像そのものに取って代わられる。だが、無論残っている映像は僕が見たものではない。そして、それを見返すたびに僕たちは、その映像が常…

ヴィム・ヴェンダース「リスボン物語」1

「明るい太陽の下では、音でさえも輝いている」(ペソア) 「白は深い沈黙を象徴するのでなかった。過剰な絶句そのものだった」(大久秀憲*1) ヴィム・ヴェンダース監督「リスボン物語」の時間は、ヴェンダース作品特有のじりじりするような流れ方で過ぎて…