宮地尚子『トラウマの医療人類学』1

二年前の夏、東南アジアでバックパック旅をしたことがある。二ヶ月弱の間、最初は三人、それから二人、最後には一人になって*1、タイ・カンボジア・ベトナムを遺跡中心にふらふらと回っていた。
旅に出る前から決めていたことがあった。物乞いをしてくる人には何もあげないこと。どんなことがあっても、誰にもあげないこと。タイからカンボジアに入り、その誓いを守り続けることはどんどんと苦しくなっていった。けれど先進国から観光目当てで(バックパッカーといえど所詮観光客だ)やってきた自分が貧しい人に気まぐれに何か恵んであげるという構図に吐き気がしたこと、そしてこの国で苦しんでいる人全員に何かをあげられない以上その中の誰かに恣意的に「慈善を施し」その一方で誰かを見捨てるのは致命的に非倫理的な気がしたこと、そして何かした瞬間に免罪符めいたものを自分が得てしまうことを恐れたこと。
恐ろしくナイーヴになりながら、カンボジアを出るときに、せめて食べ物を残すことだけはやめよう、と見当はずれの決意を胸に抱いたことだけは妙に鮮明に覚えている。

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宮地尚子『トラウマの医療人類学』は研究者であり精神科医でもある宮地の近年の仕事をまとめたもので、9.11や薬害エイズといった近年の社会問題(と言っていいのでしょうか)をトラウマの観点から論じた第一部、PTSD・法・暴力をめぐる論説集の第二部、そして「精神医学という学問領域そのもののフィールドワーク」*2としての第三部からなる。本書を通じて宮地は、基本的には現場の被害者(sufferer)の声に向き合い*3、それを丹念に聞き取るという作業を通じ、どうすれば少しでも彼らの痛みを軽くすることができるだろうかという問いへの答えを誠実に探し続けている。
彼女が示す一つの答えは、我々皆が自分の弱さ(vulnerability)を引き受けることができるようになる(open)というものだが、何よりも彼女はそこにいたるまでに苦しんでいる人をこれ以上苦しませないために何ができるか、というプロセスを重要視し、そのためのケア(当然これは「してあげる」という種類のものではない)のあり方について問い続ける。

社会学の専門書として見れば若干の問題点を抱えているといえなくはないものの*4、自分の立ち位置(他者のまなざしの中のどこに立たされているか)をはっきりと自覚した上で、それでも悲観的にならずに何か(何とか)しようとする(実際個人的には本書の最大の魅力はその前向きさにあると思われる)という点で、本書は極めて真摯かつ誠実なフィールド・ノートであるということができるだろう。
 
ところで本書は終盤になるに従い「より広く文化・社会と医療や精神医学について」(p.374)書き記した(広い意味での)他者論的な議論を呈してくる*5。その中の「難民を救えるか?―国際医療援助の現場に走る世界の断層」において宮地は、かつて自身が難民キャンプで出会ったシヤドという12歳の少女のことを思い出す。

「シヤドは歩くどころか、立ち上がることさえできませんでした。ガリガリにやせ、声を上げる気力もありませんでした。ときおりくるしそうに咳をし、熱もありました。そんな状態がもう二ヶ月以上続いているとのことでした。母親も年老いて力がなく、とても彼女を運んでいけないということで、診療所には一度も着たことがありませんでした。…(中略)…身長は147センチ、体重はわずか21.7キロでした。立っているように見えますが、これはお母さんが後ろから支えているのです。…(中略)…シヤドが今生きているか死んでしまったか私は知りません。「難民を救う」という実践は実行されたわけではなく、写真に映し出されたにすぎないのです」(p.352)

別れた後も彼女のことが気にかかっていた宮地は、ひそかに彼女を日本に連れてかえることも考え始める。日本で医療を受ければ彼女が助かることはほぼ明白だからだ。けれど結局宮地はその考えをあきらめ、彼女の写真のみをもって帰国することになる。自分の行為が、二十四時間テレビの「人の心を安心させる」偽善とどう違うのだろうか、と悩みながら。

(続く)
 

*1:因みに同行の友人はこれこれ

*2:宮地尚子『トラウマの医療人類学』みすず、2005、p.276。

*3:個人的な感想を述べさせてもらうならば、従軍慰安婦に関してのハルモニの証言の件はまともに読むことができなかった。それだけで彼女のような真摯な聞き手を僕は尊敬する。「十四歳で連れてこられた女の子が身体的に未成熟なため、性器を刀で切り裂かれてレイプされたことをハルモニはすでに話し、通訳の女子学生もとまどいながら、そのとおり訳していた。つまり、ハルモニが「ここで話すことができない」と言ったのはそれ以上におぞましい仕打ちだったということになる」(p.127)。

*4:一つにはそれは議論の引用の仕方がやや緩いこと(特に第三部におけるスピヴァクの引き方が弱いように思われる)であり、もう一つは権力に対するまなざしがナイーヴなことが挙げられるだろう。

*5:実はこの徴候は第二部での親密圏についての議論にすでに見られている。