ウディ・アレン『世界中がアイ・ラブ・ユー』

友人がそのまた友人から招待券をもらったというので、授業をサボって久石譲新日本フィルのコンサートに行ってきた。「十二月の恋人たち」(!)と題されたこのコンサートは、ほぼ全編僕の好みの古典的でロマンティックな映画音楽で、(久石音楽といえばジブリくらいしか知らなかったが)ジャズっぽくアレンジのなされた音楽的にももちろん、(特にオケの真後ろの席だったので)指揮を執る久石がまるで踊っているようで、非常につぼにはいる可愛さで、よかった。ていうか今気づいたらこのときのことはその友人が詳しく書いているのでそっちを見てください(音楽を語る言葉を持たない僕なのです)。
 
で、休憩を挟んで第二部が始まるときの久石の挨拶の話。「今日はナウシカやトトロはやらないんですよ。昔僕のホームページに『高い金を払って子供と一緒に楽しみに来ていたのに何でトトロをやらないで懐メロばっかりやるんだ』って怒りの書き込みをされていた方がいらしたけど…(笑)」などと話し始めた後で、彼はこう続けた。「最近の映画音楽は映像にべったり張り付いて、なんというか無機質なものになっている。けれど映画音楽っていうのは、それ自体としてちゃんとあるべきだと思います。今日は最近のフランス映画の中からなるべくロマンティックな曲を選んで見ました。楽しんでいってください」*1
 
この言葉を聞いた僕は、何となく映画『ニューシネマ・パラダイス』のラストシーンを思い出していた。映画における「ロマンティック」とはどういうものか、を問いかけるような、カットアップ・メソッドで何度も何度も繰り返される、無数のキスシーン。序盤での伏線(映画の公開の前に村の牧師がキスシーンなど「破廉恥な」シーンのフィルムを捨てさせていた)を綺麗に回収すると同時に、映画全体自体におけるもう一つのキスシーン*2をも思わせるこの数十秒以上に美しいラストシーンは、めったにないと思う(主人公の泣いている顔が映りすぎてやや興ざめではあるが)。
 
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数日後(ていうか昨日)、体調を崩して家で寝ているときに、ふとこのときのことを思い出して、無性に映画音楽が聞きたくなった。でも家には『ニューシネマ・パラダイス』はなくって、代わりにウディ・アレンが例の困ったような表情とハツカネズミのようなしぐさで、僕を誘っていた。

*1:この話の後に始まった第二部は、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」「Le Petit Poucet」(『親指トム』)「Les Choristes」(『コーラス』)「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」「白い恋人たち」と続く。場所的に音はあまりよくなかった:オーケストラのシンフォニーは正面に向けて最高の調和がなされるように配置されているのだが、僕らの席はオケの真後ろで、コントラバスやパーカッション、そしてブラスがかなり強く響く(えらい重低音だった)という配置。が、キュートな禿で動く久石が見られて満足。

*2:よく知られていることだが、『ニューシネマ・パラダイス』には二バージョンが存在し、「完全版」ではなく短い「劇場版」を先に見られた人は幸福、前者を見ないで済めばもっと幸福だといわれている。本作品の中盤は主人公トトとヘレナ(でしたっけ?)の恋愛劇(それは不幸なすれ違いで終わってしまう)についてなのだが、「完全版」では中年になった二人が再会し、その後日談めいたものが語られてしまうのだ。これは物語として完全な蛇足という印象が強く(年取ったヘレナがキモいおばさんになっているからというのもあると思うが)、二人がキスをかわすシーンなどまともに見ていられないくらいだ。だがこれは逆説的に「劇場版」の正しさ、言い換えると余計なキスシーンをカットすること=物語を純化させることがそれを美しく見せるということをあらわしており、映画それ自体の結末とは正反対なのがおかしい。