★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』1

ロリータ (新潮文庫)
ヘレンは帰ってきた。玄関の段の前に立ち、頭を垂れ、嵐から逃れるために。出て行った道をたどって戻ったのではなかった。あれだけのものを見た後で、どうしてそんなことができるだろう?
「ごめんなさい」と彼女は言った。「心をなくしちゃったの」
リチャード・パワーズ『ガラティア2.2』)
  
しかもこの関係は…(略)…根本的に非対称的なものである。
新田啓子「遠いものを愛すること―親密圏とその外部」)

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新潟で、男に九年間監禁された女性がいた。そのことの意味を、ずっと考えていた。

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ハンバート・ハンバートは、生涯で三度の旅に出ることになる。ドロレス・ヘイズ(ロリータ)は、たった一度だけ旅に出ることになる。彼女らの旅は、いつも愛と自由の絶望的な権力関係の中での出来事だった。僕は、これほどまでに悲しい旅を知らない。そして、旅立ちを待つ日々の、愛することの絶望を。
 
ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』は、その名が一般名詞化するほどまでに有名な少女性愛についての物語である*1。投獄された語り手ハンバート・ハンバートの回想の形式をとる本書では、全編を通じてハンバートの少女ロリータへのその絶望的な愛が独白され続ける。だが我々は、彼の愛よりも絶望の深い愛が存在することに気づかなくてはならない。ロリータの彼への愛がそれだ。ニンフェット(妖精)と呼ばれ、子供らしい気ままさでハンバートを誘惑し、振り回し、そして自由に飛び去ってしまう存在と見られていたロリータ(今現在の日本でのロリータ・コンプレックスのイメージもまさにこういったものだろう)が、自身を連れ去った男ハンバート・ハンバートを愛するとはどういうことなのか。その問いを問うことは、愛というものが常に不可避的に身にまとう絶望的なまでの権力性を明らかにすることになるだろう*2
 
ハンバート・ハンバートの第一の旅は、彼がロリータの母シャーロットと再婚し、そして彼のロリータへの欲望を知ったシャーロットがその直後に不幸な(ハンバートにとっては都合のいい)事故で命を落としたことによって始まる。
ハンバートはガールスカウトのキャンプに行っていたロリータの元へ向かい、シャーロットが入院したと告げ、ロリータを連れ出す。向かった先はシャーロットと泊まる予定だった「魅せられた恋人たち(Enchanted Hunters)」という名のモーテル。そこでロリータを誘惑しようとしたハンバートは、逆に彼女に誘惑されてそのまま関係を持つことになる。だが翌日になるとロリータは態度を一変させ、「警察に連絡してあなたに強姦されたって訴えなくちゃ」と騒ぎ始める。「病院にいるママに電話したいの」と言いだした彼女に、ハンバートは告げる。「じつはね、ママは死んだんだ」

レピングヴィルの繁華街で、私は、いろいろなものを買ってやった。漫画の本を四冊、箱入りのキャンディー、衛生綿を一箱、コカコーラを二本、マニキュアのセット、文字盤に夜光塗料を塗った携帯用目覚まし時計、ほんもののトパーズの指輪、テニスのラケット、白いローラースケート靴、双眼鏡、ポータブル・ラジオ、チューインガム、透明なレインコート、サングラス、それにまたしても衣類を―タイツやショート・パンツや、さまざまな夏のドレスなどを。
ホテルでは別々の部屋に寝た。しかし真夜中になると、彼女は、しくしく泣きながら私の部屋へはいってきた。私たちは心やさしく仲直りした。なにしろ彼女は、ほかにどこへも行くところがないのだ。

(続く)

*1:ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』(新潮社、1980)。

*2:僕の好きな二人の小説家、アメリカ現代作家リチャード・パワーズ、そして日本の無名ロリコン小説家大久秀憲は共にこのテーマに真正面から取り組んでいる(結果キモい)小説家だといえるだろうと思う。