★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』3

ロリータ (新潮文庫)
ある日、ハンバートがふと目を離している間にロリータが姿を消してしまったことがあった。ずっと恐れていた彼女の逃亡がついに実現したことを確信するハンバートだったが、奇妙なことにロリータは再び彼の前に姿を現した。

後年私は、彼女がなぜあの日永久に去ってしまわなかったのかと、そのことが、しばしば不審に思われてならなかった。それは、鍵のかかった私の車のなかにしまっておいた新しい夏服に未練があったためだろうか?それとも計画全体にまだ不完全な点があったためだろうか?いろいろ考えあわせた結果、いっそのこと私にエンフィンストンまで―秘密の終着点まで―運ばせたほうが得策だと考えただけなのだろうか?ただ一つはっきりしているのは、そのとき私が、彼女は永久に私から去ったのだと確信したことだ。

ハンバートが理解し得なかったのは、ロリータもまた、(この言葉を使うことが許されるなら)彼を愛していたということにほかならなかった。そして彼がそれを理解できなかったのは、彼もまた、自分から一番遠いものとして、最も理解不可能なものとして、ロリータを愛していたからに他ならない(繰り返すが、こう言ったからといってハンバートを擁護しているわけではない。だが彼らの関係は愛=親密な関係を築くことに不可避の非対称的な権力状況を非常に端的にあらわしているのだ)。
 
ロリータは、エンフィンストンで入院するとハンバートの目を盗んで退院し、彼の前から姿を消してしまう。彼女がいなくなるその前から、その態度の変化に「もうお前は私を愛していないのか」と自問したハンバートは、「いや、はじめから彼女は一度も私を愛したことがなかったのだ」と自答する。だが、彼女がハンバートを一度も愛したことがなかったと仮定することは、彼女の置かれた状況に対する致命的な裏切りに他ならない。ハンバートが彼女を酷く(terribly)愛したように、彼女はハンバートをその致命的な(terrible)非対称性ゆえに、愛していたのだ。
 
けれどロリータは、最終的に彼のもとを逃げ出す。後年彼女に再会したハンバートは、それが自由を求めての行動であるよりも、また別の愛を求めての逃亡であったことを知る。かくして彼女のたった一度の旅は、新たな牢獄への旅となる。
一方でハンバートは、彼女を取り戻すため、そして連れ去った男に復讐するため、三度目の旅に出ることになる。別の女性との出会いによって終わったかに見えたその旅は、数年後、結婚したロリータからの金の無心の手紙によって唐突に再開される。やっと突き止めた彼女は、ハンバートのもとから逃げ出した時の男とは別の男と結婚・妊娠し、貧乏で平凡な成人女性となっていた。けれどハンバートは、変わり果ててしまったロリータと話しながら、圧倒的な感情を抑えることができなかった。

皆さんは私をあざけり、聞くに耐えないから退廷するとおどすかもしれないが、私は、さるぐつわをはめられ、半ば息の止まるほど絞めつけられるまでは、ささやかな真実を叫びつづけるだろう。血色が悪く、不潔っぽく、しかも他人の子をはらんでいるが、いまだまだ灰色の目をもち、睫毛の黒い、いまだに鳶色とアーモンドが美しく融合したカルメンシータであり、いまだに私のものであるロリータを―このロリータを、私がいかにはげしく愛したかを、ぜひとも世界じゅうの人々に知っていただきたい。私のカルメンよ、生活を変えよう(changeon de vie)、どこか私たちが二度と別れずに暮らせるところへ行こう。

「ここから、おまえのよく知っているあの車まで、わずか二十歩か二十五歩しかない。ほんのちょっと歩けば行けるのだ。その二十五歩をあるいてくれないか」そう呼びかけるハンバートを、ロリータは全く問題にしない。そんなことはぜんぜん問題にならないと。それくらいならいっそかつて逃げ出した男のところにもどりたいと。なぜなら―

彼女は言葉につまった。私は心のなかでそれを補足した。(”彼はあたしの心を傷つけたんですもの。あなたは、あたしの人生を傷つけただけよ”)

(続く)