アントニオ・タブッキ『レクイエム』2

昨日の日記でも取り上げたのですが、タブッキについてもう少しだけ。
レクイエム
「よそもの」として街をさまようことは、言葉だけでなくあらゆるものを異化(普段慣れ親しんだ感覚とはちょっと違う違和感のようなものを味わうこと)することになります。ヴェンダースにとってそれは音だったのですが、タブッキにおいては(色々あるけど)食。普段食べている名前の分かった料理と違って、異文化の食は名前を聞いてもなんだかよくわからないので、どういう風に作られたものなのかに強く意識が向くことになる。とにかくこの人の小説に出てくる料理はどれも感動的なまでにおいしそうなのです。例えば『レクイエム』でのこんなくだり。

アレンテージョ風に調理した野鳥や鶏の料理はわたしの大好物です。一度、エルヴァスで、詰め物をした七面鳥を食べたことがありますが、あれはまさしく絶品でした。生涯最高の七面鳥料理でした。至言ですね、とアレンテージョ会館のボーイ長は同意した。ですが、わたしとしてはポエジャータ、あのスープの味わいも捨てがたい。ポエジャータをお好みかどうかは知りませんが、あれには二通りの作り方があるのです、ご存知ですか? ひとつは新鮮なチーズを使うもの、もうひとつは卵を使うやり方ですが、こちらがバイショ・アレンテージャ風です。わたしはバイショ・アレンテージャ出身なのです。子供時代の思い出というと、祖母がこしらえてくれた卵入りのポエジャータのことがどうしても頭をよぎります*1

あるいは、こんなくだり。

黄色い花柄の浮彫りをあしらった栗色の陶器の皿、市場で売られている大皿に乗って、サラブーリョがあらわれた。サラブーリョは見るからにおそろしげな姿をしていた。黄色っぽい脂を引き連れたジャガイモがまんなかに鎮座していて、そのまわりにぶつ切りの豚肉や牛の胃が散らばっていた。ワインかそれとも煮つめた血の色にちがいないのだが、どちらともさだかでない焦茶色のソースのなかに、料理全体が沈んでいた。こういうしろものを食べるのは初めてだよ、わたしは言った。ポルトガルのことは大昔から知っているし、端から端まで旅してまわったけど、こういう料理を口にする度胸はなかったな。これならたしかにこの世の終わりだ、毒にやられて死にそうだよ。後悔はしないぜ、料理を取り分けながらタデウシュが言った。弱虫坊や、食べてみたまえ、あれこれごたくを並べる前に。わたしは肉の切れ端にフォークを刺して、ほとんど目も開けずに口にはこんだ。すばらしかった。洗練のきわみともいえる味だった。タデウシュもわたしの反応に気づき、うれしそうに目をほそめた。じつにみごとな料理だよ、きみの言うとおりだ、わたしは言った。これまでの人生で味わった最高の料理のひとつだった。鸚鵡が叫んだ、それでよし!*2

旅の食は、それを食べたときの蒸し暑さや街の色、音、さまざまな要素と結びついて無性に美味しく感じられますよね(なげやり)。
あぁ、もうそんなこといいや。おなかすいた!

*1:アントニオ・タブッキ鈴木昭裕訳)『レクイエム』白水社、1997、p.127。

*2:同、p.45。