★ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』2

ロリータ (新潮文庫)
正確には、ハンバート(とロリータ)の第一の旅はここから始まる。彼らは一年間に亘って広くアメリカ各地を放浪し、安モーテルに泊まり、その度に愛し合う。ハンバートはロリータをわがままでなかなか言うことを聞かない存在だとみなすが、巧みな語り口によって彼は彼女を縛り付ける。

「…簡単にいうと、もし僕らの秘密がばれたら、おまえは精神鑑定をうけて施設へ入れられるんだ。それだけのことさ(C'est tout)。そして、おまえは、ぼくのロリータは、(こっちへおいで、かわいい栗毛ちゃん)、こわい寮母の監督のもとに、不潔な寮で、(いやよ、お願いだからほっといてよ。)ほかの三十九人のばかな少女たちといっしょに暮らすんだ。それが実情で、行きつくところは、それしかないんだ。そのへんのことを考えると、ドロレス・ヘイズは、いつまでもパパにくっついていて離れないほうがいいんじゃないか」

擬似近親相姦的な関係の中で、ハンバートは、だが、自分の方こそがロリータに振り回されているのだという実感を抱くようになる。彼はますます嫉妬深くなり、懸命に彼女をコントロールしようとする。
やがて(金銭的な事情などから)二人はピアズリーに家を借り、ロリータは私立学校に通い始めることになる。かくして仮初めの定住生活を営む二人だったが、その頃から「ロリータの道徳心の明白な低下」が目に見える形で現れ始める。ハンバートから彼女に支払われる小遣いは週ごとに跳ね上がり、二人の関係は援助交際的な性格を強めていく。そしてハンバートは、ロリータの自由を恐れ始めるようになる。

だが私は、そのころには…(略)…愛情の価格を手ひどく値切っていた。それは彼女が私を破産させることを恐れたからではなくて、彼女が家出できるだけの金を貯えるのを私が恐れたからだ。あの猛々しい目つきの哀れむべき少女は、たかだか五十ドルも財布にあれば、ブロードウェイとか、ハリウッドか―さもなければ、風が吹きすさび、夜空に星がまたたき、車も酒場もバーテンも、あらゆるものが汚れ、荒廃し、まるで死んだような、昔は大草原だった陰気な州の、どこかの簡易食堂(「ウェイトレス募集中」)の不潔な台所へ―なんとかたどりつけると考えるにちがいないのだ。

けれどロリータは逃げ出さなかった。ハンバートの仮定とは裏腹に、逃げ出そうと思えばいつでも逃げられたにも関わらず。
こう指摘することは、彼女が主体的にハンバートとの関係を楽しんでいたと主張するわけではないし、彼女が苦しんでいなかったというためでも無論ない(ましてやハンバートの罪を軽くするためではけしてない)。だが、彼女が自由になりたがっていたと想定すること、そう思うだけの主体性をその時点でも確保しえていたと思い描くことは、彼女の絶望を薄めることでしかない。監禁された少女同様、圧倒的に不均衡な権力構造に巻き込まれたロリータには、自由になりたいと思うことすら許されない。ストックホルム・シンドローム(人質にされた人がその犯人に対し感情移入を行ってしまうこと)というのでは弱過ぎるかもしれないような、その感情*1。そして真に絶望的なことは、彼女は(そしてそしてそれゆえに私たちは)自身の置かれた致命的な権力構造を受け入れ、自分を閉じ込めるものに対して抱くその感情を、愛と名づけるしかないということなのだ*2
 
やがてロリータは学校をやめたいと言い始め、「こんどはあたしの行きたいところへ行く」二人の第二の旅が始まることになる。ピアズリーを後に、ハンバートは中西部へ車を走らせる。その中でハンバートは次第にロリータの後ろに男の影を見始めるようになるが、彼自身の絶望的な愛によって、真実から隔てられることとなる。

「どうしたの?どこへ行くの?」ローが玄関から叫んだ。
私は何も言わなかった。彼女のやわらかい体を部屋の中へ押しもどし、つづいて私も部屋へはいった。彼女のシャツをむしりとった。スラックスのジッパーをはずした。サンダルを剥ぎとった。そしてあらあらしく彼女の背信の影を追った。だが、私の追跡する匂いは、あまりにもかすかで、狂人の妄想と区別することが事実上不可能だった。

(続く)

*1:ストックホルム・シンドロームが犯人に対し「この人は自分と同じだ」と思い、感情移入=同一化を行うことであるのに対し、ここでロリータが被るものはその絶望的な権力の非対称性=他者性に他ならない。これについては注2にも記した新田論文参照。

*2:冒頭に掲げた新田論文は、親密圏における愛というものが常にそうした「最も遠いものとの関係」であることの暴力性を解き明かす。また新城郁夫はそうした絶望的な感情を愛と呼ぶしかない沖縄における権力構造を指摘する。