ヘンリク・イプセン『人形の家』

人形の家 (岩波文庫)
厳密には小説ではなく戯曲。
夫に黙って借金をした(かつその過程で書名を偽造した)妻が夫に心優しく「許して」もらったとき、自分が彼にとって(あるいは自分の父にとって)「人形」でしかなかったことを悟り、家を出て自らの生を生きる、というのが基本プロット。
十九世紀ノルウェーの婦人運動(懐かしい言葉だ)の下、直接的にはジョン・スチュアート・ミルなどの影響下で書かれたこの作品の衝撃は、当時の文脈では「妻が夫に黙って借金をすること」自体が暴挙であったことをまず理解しないと分からない。本書が巻き起こした大論争はイプセンが描き出した「女の自律」が極めて挑発的なものだったことに起因するのだが、ここで注意されなければならないのは、厳密にはこの主人公も「自ら」選んだのではなく、自らの生をある種の希望に「賭け」たこと、そして借金を夫に告白したのは自らの意思でではなく他人の意思決定によってであったということだろう。こちらもまた「女」であるのだが、主人公と彼女の間には明らかな経済的格差があり、彼女が繰り返し言うように主人公が「育ちのいいお嬢様」である(それによってのみ「自律」を言い出すことが出来た)ことは見過ごすべきではない。といってもこのもう一人の女も基本的には金持ちなのですが。