バイバイ、ミス・アメリカン・リベラリズム


id:shokou5くんとの生活は続いている。
男二人、ロマンスもなく*1、葛藤もなく、ただただ緩慢と日々は続く。
14h、夜勤明けの休日の特典である惰眠をようやく諦めた彼の誘いに乗り、暗礁に乗り上げた論文を投げ出して上島珈琲へ。リベラリズムマルキシズムなどについて議論。なぜいまマルクス(やフロイト)を真剣に読む必要があるのか?とshokouくん。疎外論実存主義)のマルクスヘーゲル歴史哲学のマルクス、ミクロとマクロの齟齬と接合について説明しつつ、問いをかわそうと試みる僕。フクヤマハンチントンのあと、9.11のあと、未来志向(あるいは「正しい」ものの達成を目標に据えた)の批評が必要であったとして、それがマルキシズムである必然性はどこにあるだろうのか?あるいは広義の「左翼」の現実的な姿として、「私的領域では差異の政治にコミットしつつ、政治・経済的にはリベラル左派」という方針(ローティやジジェクのいう「文化左翼」)が多数派だとして―多くの「左翼」から「中道右派」くらいまでがこの態度ではないだろうか?実際ぼくもおそらくshokouくんもこの立場に近いのだが、そしてこうした態度自体が実にローティ的な公私分別に他ならないのだが―、そのオルタナティヴを今更のマルキシズムに求めるのは単なる反動ではないか?なぜそれでもいまイーグルトンやジェイムソン(やラクラウ)が読まれているのか?そもそもこうやって、のかのか式反語疑問文*2を羅列する書き方自体、悪しきポモ(笑)の典型ではないのか?のかのかのか…。
 
のかのか言っているうちに夜もふける。年もとる。ビールを飲み煙草を吸い久しぶりにカラオケに行き、けちくさい恋も照れてやり、小説本を読みながら、死ぬことを忘れていた、やがて死ぬことを。*3それでも明日は来る。またとりとめもない日は続きます。よろしくね。
 

集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス)

集中講義! アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 (NHKブックス)

といった話をしながら読みました。
この本でナカマサさんは、二次大戦後のアメリカの政治史と絡めつつ、フロム・ハイエクに端を発し、ロールズによってその現代的基礎を確立し、ローティに至るまでのリベラリズムを中心とした思想史を概観している――つまり、対国外(対ソ連)と国内(マッカーシズム)における対共産主義への対抗という文脈での、共和主義(アレント)/市場主義(ハイエク)の50s。60sには、国内外政治(公民権運動、第二派フェム、ベトナム)からの「自由」概念の問い直しが進むのと平行した、ケインズ的「弱者に優しい」リベラル。70s、アファーマティヴ・アクションとニクソン・ドクトリンで「リベラル」の再考が求められた中で、華々しく登場したロールズ。かくして確立した現代リベラリズムが、リバタリアニズムコミュニタリアニズムとの相克のなか、あるいはラディカル・デモクラシーや「差異の政治」との突合せの中でいかにしてローティにいたったか。そしてフクヤマハンチントン後の世界で、リベラリズムはいかに考えられるべきか。
ナカマサさんの議論自体についていえば、ロールズまでの素晴らしく緻密な構成に比べて、「差異の政治」あるいは「ポストモダン左派」あたりから若干議論が浮ついているきらいがある。おそらくそれはロールズ後〜ローティまでを扱った第二部「リベラリズムの現代的展開」における議論が、「文化戦争」への意識から、フェミニズムに重点を置きつつ、公/私二分論の脱構築アイデンティティ政治といった議論を中心に据えているからだろう。同時期に発展した批判法学、あるいはそれに依拠した批判人種理論の流れは、「差異の政治」の中で公的領域における正義の達成といった問題に関してより議論を深めている。「ローティまで」の左翼思想を主としてフーコー系批評と見ることで、ネグリ・ハートを「市民社会」の受け入れという観点からロールズと接合する、という若干奇妙な展開が導かれるように思う。
 
そうした後半部の疑問点は踏まえたうえでも、実に刺激的な本だった。ただ、これは本書にというよりは一般論として疑問に思うのだが、アレントやその延長にあるハバーマスの議論の根底にある、「ポリス(市民社会、イデオロジカルな議論の可能な「公的領域」)としてのアメリカ社会」という想定が、どうにも僕にはなじめない。アメリカに「公的領域」があったことは、果たしてあるのだろうか?ファシズムを逃れたアレントアメリカ社会、というよりその憲法や建国理念に発見した弁証法装置としての「公的領域」は、(外部を持っていたというのみならず)そもそもアメリカにおいて一度でも達成されたのだろうか?*4
そんなことを考えながら、60sアメリカを、あるいはロックンロールへの追悼をうたったDon McLean "American Pie"を聴く。いや、これはほんとにいいですよ。A long, long time ago...

*1:shokouくん検閲1:「僕はロマンスがあります」

*2:造語です。

*3:オダサク。と記すとオザケンみたい、とはshokouくんんの言。

*4:この問題については、たとえば、新田啓子アメリカ解読1、Henry James, The American Scene(1907)」(英語青年2008,4,pp.42-45)参照。