タージマハルをつまみあげてはいけない(ピサの斜塔を支えてもいけない)

前回日記について、「また春樹にかぶれた妄想で貴重なウェブ資源を…」というご意見をいただきましたが、あれは紛れもない事実です。もしあなたが、あの日のラージスタン州州立テレビ・夕方のニュースを見ていたら、僕ら二人の姿を見つけたでしょう。見ていた人がいたら教えてください、マジで。
 
旅程について簡単に(お暇があればお手元のgoogle earthで確認してください)。
デリー⇒ジャイプール⇒プシュカル⇒ウダイプルとやや北西部を電車で移動していましたが、その後大きく向きを変え、タージマハルで有名なアーグラー(半日のみ)⇒そして昨日ガンジス川畔の聖地ヴァラナシにつきました。ここで一週間弱滞在し、帰国する予定です。
アーグラーはバックパッカーの間ではかなり悪名高い観光地で、レストランはほかの町の軽く倍以上の値段、タージマハルに至っては入場料外国人750ルピー(安いホテルが一泊50ルピーくらいのイメージをもってください)もするのです。インド人だと20ルピーなのに!そのためアーグラーには夜行列車で朝到着した後、タージマハルだけをゆっくり見て、その日の夜の夜行列車で出発するという強行軍となりました。
スコールのあけた空、夕焼けを背にしたタージはそれはそれは綺麗で…といきたいのですが、タージの周囲に何もないため縮尺がまったくわからず、建物としてあまりに均整が取れているため、まるで絵はがきを見ているようで、現実感があまりありませんでした。多分帰ってから写真を見たときのほうがしっくりくるのでしょう。
というわけで、多くの観光客がもっぱら写真をとることに専念していました。僕はなんともなしに彼らの様子を眺めていたのですが、玉ねぎ状のドームの頂上の塔の部分をつまみあげるような格好で写真を撮る人々があまりに多いことに、だんだんと腹が立ってきました。憤り、といってもいい感情です。どこかで見た光景だな、と思っているうち、自転車旅行で訪れたピサの斜塔で見た、斜塔を支えるような格好で写真を撮っていた人々のことだと思い当たり、彼らを思い出してますます腹が立ってきました。そんな風に、市場で玉ねぎを調べるみたいにつまみあげるだなんて。不当に貶められた歴史のことを思って、単なる一観光客である僕は勝手に腹を立て続けました。アーグラーはうんこです。
時間がないので、よくわからない文章になってしまいました。今日から旅立つ朋友から、「もっと旅のことを書け」と言われ、いま訪れているヴァラナシのことなど書こうと思ったのですが、すみません、また次回にしてください。プシュカルという街で知り合い、親しくなった非常に優秀なコスタリカ人大学院生(建築学専攻)のことや、こちらで買った本のことなども(Spivakが_Postcolonial Reason_などで取り上げているインド人小説家Mahasweta Deviの本を六冊ほど仕入れたので、もしご所望の方がいればこっそり連絡をください。ちなみに内訳は、短編集2冊、中篇1冊、戯曲1冊、批評1冊、それから子供向けの童話1冊(!)です)。
ではまた。