20080101

Lisbon222008-01-01


年末は映画みたりSF読んだり、友人の寮に押しかけて年越し蕎麦を食べたりしていました。チャットモンチーが売れているのは仲が良さそうだからだ、とか、実存主義を乗り越えた活動再開後のミスチル(というか桜井さん)がセキュリティ思想へと至った必然とか、熱弁を振るっているうちに、外は、もう、朝。あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

http://sachiari.jp/
雇用問題絡みで罷免され、妻も職も全てを失って「なんでもないひと」となったフランスのとある(元)大臣*1。母親を尋ね、飲み仲間らとワインを飲み、「なんでもない」人生を徹底的に肯定していくやり方は、(その裏側にあるペシミズムの深さを含めて)「月曜日に乾杯!」に代表されるようなイオセリアーニ節そのもの。例によってというか主人公は上映時間の3分の1か4分の1くらいは誰かとワインを飲んでいます。
棺桶屋で自分の棺桶を物色する衝撃の冒頭シーン、それからちょっとした隠し味程度に言及されるにとどまっている暴動問題など見所は多いのですが、一つのキモは、居場所をなくした大臣がひたすら転々と(愛人、というより)女友達のところを歩き回るところで、(彼にとって)本当に都合よくというか女達は彼を暖かく部屋やベッドに迎え入れ、居場所を与えます。当然のように彼女らはかち合い、「あんたは彼の何なのよ!」という話になるのですが、そこで彼の母の言う「あの子は女友達が多いのよ」という科白がこの映画の白眉でしょう。ただし「ここに幸あり」では、「月曜日に乾杯!」辺りの剥き出しのミソジニーから少し変化があり、ラスト・シーンでは一人芝生を刈る(元)大臣を尻目に、彼の女友達たちが集まってワインを飲んで喋って…と彼を不在の中心にした共同体を作ることになります。とは言えまあイオセリアーニにとって男/女の区別は絶対的なもののようで、これはイタリア人としての業というやつでしょうか。

http://www.sonypictures.jp/movies/reignoverme/
ニューヨークもの第二弾。家族との絆を見失いつつあるとある歯科医が、大学時代の友人と偶然の再会を果す。旧交を温める中で歯科医は、友人が911で妻と娘を一度に失い、記憶と精神に大きな傷を負ったことを知る。深いメランコリに閉じこもる友人の傷の象徴化/喪、それを可能にするホモソーシャル、友人を救うことによる歯科医自身の家族関係の回復が表立ってのテーマとなる。
物語自体は最後に友人に潜在的パートナ(女性)を与えて幕を閉じるものの、歯科医の抑圧されたホモセクシュアリティ*2がそれとなく、しかし否定しようもない形で表象されるのが興味深い。あとギャグがよいですね。歯科医(黒人男性)が患者(金髪白人女性)にオーラルセックスを持ちかけられるくだりとか、断ったら「セクハラをされた」と逆に訴えられるところとか(人種の問題や、それからパワハラの問題としても)なかなかよいのですが、それを友人に相談すると「俺に代われよ!」としか言わないあたりとか、楽しかった。それからニューヨークの街が綺麗です。スクーターに乗った友人の視点から、グレアム・ナッシュの「シンプル・マン」をバックに乗せつつニューヨークのビル群の間を抜けていく冒頭のシーン(その自閉感を含めて)はとても素敵でした。

  • マイク・フェイダー『ニューヨーク・バナナ』

ニューヨーク・バナナ

ニューヨーク・バナナ

ニューヨークもの第三弾。40年代うまれのユダヤ人男性の著者の、母との緊張に満ちた関係を中心とした「自分語り(ライフ・ヒストリー/ストーリー)」。「再会の街で」でもDeLilloの_Falling Man_でもナラティヴ・セラピーは大きな鍵だったのだけど、これは本自体がラジオでの語りをもとにしたもの。「ぼくのともだち」辺りに通じるダメさがよいです。

*1:演じる人も本職の役者でなく、監督の友人である素人らしい。名前は「月曜日に乾杯!」と同じヴァンサン。http://eiga.com/buzz/show/8799

*2:自分のことを思い出せない友人に「お前は俺のルームメイトで、いつも裸で寝ていたじゃないか」と説明すると、友人はその後二人の関係を「ルームメイト。いつも裸で寝ている」と他人に説明するようになる。一緒に映画を見ようとしたときの友人の「大人一枚、ゲイ(ファゴット)一枚」という科白もよい。