Simians, Cyborgs, and Women

Simians, Cyborgs and Women: The Reinvention of Nature

Simians, Cyborgs and Women: The Reinvention of Nature

再読。というか細かいところ(免疫学とか)が全然判らん。今度講義してください>しょこうくん。
ポスト構造主義フェミニズムの旗印というか、ラディカルな差異へのコミットメントによる「科学」のフェミニスト的書き直し、というつまらないまとめ方しかできないなあ。猿の研究(類人猿学っていうの?)、動物行動学etc...と丹念に見返していくのだけれど、正直科学史的知識がないので全く頭に入らず。
すっごく単純な図式にまとめてしまうならば、モダニズムは分析の対象としての「人間/男(マン)」の発見(それは自己の二重化とパラレルだった)によって特徴付けられるけれど、その際従属的対象(レファラント)として動物/機械/女が構築される。ハラウェイはコミュニケーション・テクノロジーの進歩によってそれらと「人間」の境界が不明瞭になったものとして「サイボーグ」なるエイジェンシーを想定し(ただし、ナイーヴな差異のポリティクスがするように「自然」なアイデンティティとしてそれを捉えるのではなく、「決してイノセントではないものとして」とらえ)、彼女らを他者化してきた道具(科学)を逆に奪うことでそのサバイヴァルの物語を書き直そう、というプロジェクトなのだが…(ああ、内容を理解してないことが丸わかりなつまらないまとめかた)。
正直言ってついていけない。いや、難しくってよくわからなかっただけなのかもしれないけれど、「有色女性はある種のサイボーグだ」とか言い出す彼女の視角って、世界システムの中で語る術すらもたないような人に対しての配慮があまりに欠けているように思うのだ。「還元主義的科学は対象を静的なものとしてみてきたが、対象はそれ自体アクティヴなものだ」(だから猿や女やサイボーグの目から「科学」を見直しましょう)と言う言い方はそれ自体問題がないように聞こえるのだけれど、何をもってそれらが「語っている」と見做すかの基準が「知」の側に奪われている(というか、政治的に厳密に言えば「我々が奪ってしまっている」…そしてここでの我々、にはハラウェイもある意味で含まれる)以上、それってそんなにユートピアンな言い方してしまって大丈夫なの?と不安になってしまう。
あと、小谷真理の翻訳がたびたび批判されるけど、ていうか僕も学部時代読んですごく読みにくくて泣いたけど、これは仕方ないわ。原文がそういう調子だもの(にしても例の翻訳家のテクハラ問題は酷いと思います)。