J.M.Coetzee, _Disgrace_

Disgrace
1999年のブッカー賞受賞作。南アフリカの大学の文学教授Davidが教え子とのスキャンダルによって大学を追われ、農業を営む娘Lucyのところへ転がり込み、Lucyのレイプ事件をきっかけに、世代、親子関係、男女、そしてクッツェーお得意の動物についての倫理の問題に目を啓きはじめるというのが基本プロット(アカハラの研究をしている友人がいるため序盤のカレッジ・ノベルっぽいところが妙に心に残った)。humanisticのダブル・ミーニング(人文主義=人間中心主義)や動物の倫理、それからインセストの問題、フェミニズム(well-meaningな男に対して、女性が自分自身の物語を語ること)辺りが基本切り口だろうか。そういうとまるで『ガラティア2.2』だが(パワーズはあの作品の語り手リチャードからかなり距離を置いて書いているというのが僕の読みなので)。
ただふと気になったことに、この作品において動物の安楽死の問題が大きなテーマとして出てくるが、多くの哲学者や小説家が人間と動物の違いを「死を知るか否か」という点に置き、クッツェーもまたその例外ではない気がする。けれど「象の墓場」とか考えると、それって人間に限られたことなんだろうかとふと思う。明らかに村上春樹が象と猫にこだわっているのはそれが理由に思えるけれど。どうでもいいけれど僕はキリンをこよなく愛します。あの触覚?のフォルムは素晴らしい。