ボブ・グリーン『オール・サマー・ロング』

オール・サマー・ロング〈上〉夏を追いかけて オール・サマー・ロング〈下〉夏がいっぱい
初めて「アメリカ小説」だと意識して読んだアメリカ小説。40過ぎのオジサン三人組が、かつての友情と輝かしい夏の日々を取り戻すために、ひと夏の間一台の車で、妻や子や仕事全てを後にしてアメリカ中を旅するというお話。
逆玉により大会社の社長になった男(仕事人間)、地元の中学校で教師をする男(家族人間)、作家になったものの離婚などでむなしさを抱える男(主人公)の三人が60年代のロック・ミュージックをBGMにすごす夏は、けれど決してただ美しいわけではない。いくつものすれ違い(最初の頃三人で同じ部屋を取るとどうにもうまくいかず、別々に部屋を取るようにするとまた仲良くなる)や、昔との違いが彼らを苦しめる。勿論、昔の真似をすることでは昔を取り戻すことなんてできない。彼らが欲しかったのは60年代の「あの夏」、ひたすらに暑く、恋と友情と太陽に輝き、ラジオからはビーチ・ボーイズの「オール・サマー・ロング」が流れていた、追憶の中にしかない「夏」のイデアなのだから。けれどその届かない夏にひたすら手を伸ばすことはできる、それしかできないかもしれないけれど、その「ひたすらに手を伸ばす」という感覚だけが、「あの夏」の彼らと今の彼らが共有するものなのだ。
決して文学的価値があるわけではないが、ビーチ・ボーイを聞くと無性に読みたくなる。個人的思い入れがあるからかもしれないが(三人組の感じが中高大と仲のいい有人二人を思い起こさせるのです)。後に『グレート・ギャッツビー』を読み、こうしたロマンティックは「アメリカン・ドリーム」と呼ばれるものだということを知ったけれど、それでも今でも、「アメリカン・ドリーム」と聞くと、ギャッツビーの緑の光よりもビーチ・ボーイズの流れるオープンカーを思い浮かべてしまう。