トルーマン・カポーティ『草の竪琴』

The Grass Harp (Vintage International)
カポーティの日本語になってる中で唯一読んでなかったもの。こんなんでアメリカ文学研究やってるって名乗っていいんでしょうか。居場所のない男の子と老婆の交流というモチーフはトルーマン自身の実体験から。「どこにも居場所がない人が虚構の世界に篭り、そこから出てきて世界へ歩き出す」というプロット構成は実は非常に古典的なビルディング・ロマンなのだが(リチャード・パワーズ『ガラティア2.2』と実はよく似ている)、どうも歩き出していく先が明るい感じがしない。

過去と未来は一つの螺旋形をなして…いるということを、いつか本で読んだことがある。…だが、僕の人生は、むしろ閉じた円、つまり環の羅列であって、決して螺旋形のように次から次へと連なっていくことは無く、一つの環から次の環へ移行するには、すべるように伝わって移ることは不可能で、跳躍を試みるより他にない。そのゆな形に思えるのだった。僕の気をくじくのは、環と環の間にある無風状態だった。つまりどこに跳んだらよいのかわかるまでの間、その間のことである

やっぱりしみじみとパワーズな感じがするが、おそらくカポーティの方が絶望が深い。それは多分セクシュアリティの問題じゃなくもう少し時代的な問題な気がするのだけど、うまく整理できない。