ダンカン・ワッツ『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための進化学的思考法』

スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法

なんだか電車に乗って長い時間移動する日だったので、昔読んでたこんな本を読み返してみました。去年とおととしちょっとだけ流行った、「世界中のどんな人でも六人の知り合いのネットワークで結ばれうる」というテーゼ(この語のもとはアイヒマン実験で有名なスタンレー・ミルグラムですが)にまつわるものですが、専門書というよりは一般の読者に向けた(プロジェクトX的)研究史みたいな感じ。一章がイントロ、二〜五章が理論的、六章から十章が実践的(この区分も微妙だが著者自身がこう言ってるので採用)説明、という構成になってるみたいです。個人的には僕自身が社会学(しかも社会心理学)出身ということもあって、二〜五章の説明はなんだか理論的に後退している気もするんだけれど(二三章の物理学的説明の方が四章後半からの「社会的アイデンティティ」概念を導入して以降よりスリリング)、それは彼が理論物理学出身(で僕が社会心理学出身)ということに因るんでしょうね。
 
ただ今回の再読の目的は、伝染病やらコンピューターウィルスなどを通じて「個」と「全体」の関係について考えることだったんですが、期待をこめて読み返した六章以降の「実践」のところはかなり期待はずれ。もっと面白いと思ったんだけどなあ。がっかりしすぎて八章の途中で読むのをやめてしまったのでなんともいえませんが、傍線の様子とかを見ると前回もこのあたりで飽きた模様。成長せず。
多少面白かったのは、歴史的な伝染病研究というものの今日的な意義について(ほんの少しだけ)示唆している七章でしょうか。ここで特に名指されているのはペストなのですが、これを考えるとこないだのデリーロの小説でも(とある詩に習って)「鼠」が資本主義の隠喩として機能していたことはなるほどそういうわけだったのです。どうでもいいですけれど、この本は訳者がかなり目立ちたがりで訳注でいちいちけちをつけてます。そのくせ訳者解説はほんとどうでもいいことしか書いてない。なぜだかワッツの議論を「冬ソナ」になぞらえてひたすら言い直していますが、明らかにこの本を買う層と「冬ソナ」を見る層は重なっていないと思うのですが。