John Irving, _Setting Free the Bears_

Setting Free The Bears
で、「何だかすでに失われているみたいな感じ」&村上春樹つながりということで、最後はアーヴィング。今度映画になるんだっけ(もうなった?)。勿論邦訳も出てますが、何となく原著(実は未だ3/4くらいしか読み終わってないのですが)。
「歴史がすでに失われている世代」(「ぼくは「前史」しか持ち合わせていないのだ」)がいかにして歴史を受け継ぐか、というテーマが何だかクィアっぽい男達のつながりを通じて描かれている、というのが基本ライン。個人的には第一章のバイク二人旅がチェ・ゲバラモーターサイクル・ダイアリーズ』(映画は格好よかった)を思わせて好きだった。
こうした「歴史の伝承」というテーマは非常にポストモダンだし、映画化されたりして今の日本で注目を集めるようになるのはいいことだと思うのだけれど、一つだけ気になることが。こういう風にして「自分が知らない「前史」を教えられる」っていうのって、人から「これ面白いから!絶対!」といわれて興味のない本を押し付けられるみたいに、何だかすごく暴力的で、受ける側としては反発心が芽生える場合もある。友人の死後彼の残したメモによってその物語を再構成する第二部は、何だかそんな匂いが少しする。それは場合によってはバックラッシュに回収されかねもしないから、注目を集めたとしてもこの小説は「単なる青春小説」として読まれるんだろうね。