僕はどうやってバカになったか

僕はどうやってバカになったか

僕はどうやってバカになったか

自分の不幸/疎外感/社会への適応できなさは自分の知性にあると考えたパリの高等遊民アントワーヌくんが、社会に適合し/幸せに生きるために、「バカ」になろうとする、という筋書きのフランスのポップ・ノベル。全編に皮肉が利いていて、非常に面白かったです。ポピュラー知識人の最終到着地は、お笑い芸人と同じ「テレビ番組の司会者」なんだということを学びました。

僕は貧しくて、将来に希望が持てないから…。それに、僕は考えすぎるんです。社会がどんな風にできていて、どうやって動いているのか、ついつい分析し、わかろうとする。で、僕たちが自由でないことに気づいて、すごく悲しくなってしまう。ひとつひとつの考えや自由の代償として、けっして癒されない傷を負うんです。

というアントワーヌ君の「バカになろうとする」旅は、冒頭に自分自身によって予言されたように、一回り大きくなって元いた場所に戻る、という軌跡をたどります。バカ/幸福を知り、その上で知性/自由に戻る彼の冒険が、大学生や若年インテリ層を始め多くの若者に受けたのは非常によくわかる話です。
「不平を言わない、笑わない、憎悪しない、ただ理解するのみ」というスピノザの倫理を遵守する、という割に他者への偏見に満ちたアントワーヌ君が、旅を終え、同じように孤独で彼より自由な女の子との出会いを経て、「人を理解すると同時に評価を下すこともできる」という彼女の理念に理解を示すのは面白かった。スノッブであることへの開き直り、ということもできるんですが、「バカ」で寛容でない人に対して寛容である必要はない(なぜなら寛容でない人は自身の非寛容を可能にする権力と共犯関係にあるから)、というのは、是非はともかく思い切りのいい観念だと思います。