戦争にはちょっと反対さ

ぼくは、中身のない会話がすきだ。中身のない会話をしているときは、休日の神さまとうまくやれている気がします。休日の神さまは気合の入ったデートの時にはなかなか光臨してくれないくせに、何気ない平日の午後にふっとやってくる(気合の入ったデートなんてここ数年していないけど)。吉祥寺のパルコの上にいる休日の神さま。吉祥寺の駅から徒歩20分くらいの、三鷹よりの線路沿いのアパートに住んでいる休日の神さま。休日の神さまはビールを供えないとすねてしまうので、休日の神さまに出会えた日には不本意ながら昼間だろうがビールを飲まざるをえないのです。
20o'clock@squall。紅茶ビール、ベトナム風焼肉のライスボウル、カフェモカ。夜は暖かく、朝は寒い。帰宅、布団の中で小説読むうちにうとうと。

地下鉄のザジ (中公文庫)

地下鉄のザジ (中公文庫)

すなめりさん(一度も面識がないのに、丁寧にありがとうございます)に教えてもらったレーモン・クノー。田舎からやってきた少女ザジが、おかまの叔父さん、恋においちた未亡人らと、『不思議の国のアリス』のようにしてパリをふらふら。おかしくって笑いっぱなしだった。オウムの〈緑〉もいい。「ケツくらえ!」が口癖のザジは、もちろん自分から外にとび出して冒険を繰り広げるのだけれど、それでもザジ自身にも全然コントロールがきかないような感じで物語が転がりながら加速していく感じがたまらないなあ、と思いました。
ぼくのともだち

ぼくのともだち

友達を作ることの出来ない男の話。ぼくも友達が作れないから、げらげら笑いながらもしみじみとおかしく読みました。
こちらもパリに住む主人公のバトンくんは、負傷した退役軍人です。今は何も仕事はしていません。彼はさびしがりなので友達が欲しいと心から思っているのですが、おそろしく器の小さい男なのでなかなか友達が出来ません。まじで小さい男です。これだけ器の小さい男はしばらくぶりに読んだので(ホールデン君なんて目じゃないくらいのダメ男ぶりです。でもホールデン君とおなじように彼もよく読むとロリコンです)、なんだかとっても嬉しくなってしまいました。

小さい男であるがゆえにさびしがりやで、誰かと通じ合うことを必死に求め続けるバトン君。アンガージュマン系の文学の台頭以降、文学史からひっそりと名前をけしてしまったバトン君。働いていないことで周囲に疎んじられ、しまいには家も追われるバトン君。僕はバトン君が他人だとは思えません。

ぼくみたいな働かない人間、働くことを望まない人間は、いつだって嫌われものだ。
ここは労働者の集まるアパートだ。その一室に住んでいながら働かないぼくは、きっと、ただの馬鹿だと思われていたのだろう。でも、ほんとうは、みんな、ぼくを羨んでいたにちがいない。ぼくは、自由であり続けるために、肉も映画も毛糸のセーターも断念した人間だ。そのぼくと顔をあわせると、彼らは自分の不自由さを自覚せざるを得なかったのだろう。

バトン君は、本当は、とても幸せな人間なのでしょう。