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エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)

エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)

友人がミシェル・クレイフィとエドワード・サイードについてのエッセイを書いていたので(年明けくらいに紀要に載るそうです)、何となく読んでみる。
中東三部作(『オリエンタリズム』『パレスチナ問題』『イスラム報道』)、とりわけ『オリエンタリズム』と、その続編といわれる『文化と帝国主義』を中心に、世俗世界性worldlinessという概念をよりどころにサイードの思想のだいたいのところを極めて判りやすく紹介している。worldlinessとは、「現実的・世俗的なこの世界に生きていること」といったニュアンスで*1ポスト構造主義思想に対して「テキストが現実的世界の中に実際に存在し、介入していること(と同時に現実世界を作っていること)」を主張し、あるテキストが他のテキストとアフィリエーション関係を持つことを読み解いていく(いわゆる対位法的読解)彼の議論の核をなすものになる。タコツボ化する学問領域に対し「専門家にならずに何かに没頭すること」─「アマチュア」でいつづけることの重要性を説くくだりには頭が痛い。
イード自身今となっては社会・人文系の学部生の必読書となった観もあり、その議論の問題点・矛盾点はしばしば指摘されているところだが(中心的なのはフーコーの言説概念の「悪用」とか、「真のオリエント」概念とか、西洋キャノンに対するアンビバレントな態度だとか)、一見矛盾したその態度こそサイード思想の可能性を示すものだ、という方向の最近の再評価にはしみじみ賛同。いや、この人が見据えていたものは偏狭なアイデンティティ・ポリティクスなんかより本当に大きい。引用して終わります。

「人間の現実を分割することは可能か?」とサイードは問うていた。実際それは、しばしば分割されているようにみえるのだが、それを「明確に異なる文化なり歴史なり伝統なり社会なり、さらには人種なりに分割して、それでもその帰結を人間らしく生き延びることが出来るのか?」と。「その帰結を人間らしく生き延びる」というこの戦略は、サイードの人間解放観の鍵となる側面となっている。彼にとっての人間の解放とは、人間を「わたしたち」(西洋人)と「彼ら」(オリエント人)とに分割するという、ほとんど必然的に生ずる運動を回避するところに成立するものであった。

*1:山形和美訳では「世界内存在」とされるように、ハイデガー的な意味も勿論含んでいる