The Last Day of 2006
その日を過ぎると時間そのものがなくなってしまうような、秋の一日。ケーキを食べたり一年ぶりくらいのコンサートに行ったりカレーを食べたりする。
The Sense of an Ending: Studies in the Theory of Fiction : With a New Epilogue
- 作者: Frank Kermode
- 出版社/メーカー: Oxford University Press USA
- 発売日: 2000/04/06
- メディア: ペーパーバック
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ここでの議論は言ってみればベルグソンの議論(我々は持続としての時間を味わうことが出来ず、それを空間化してしまっている)を逆順から説明しているのだが、Kermodeは「フィクションだとわかった上で「終わり」を措定すること」を、サバイブすることや創造に必須のものとして指摘する。これはとりわけ(詩などに比して)小説というジャンルにおいて顕著だ、との指摘には納得。ただここでKermode的な時間が創造的なものなのかはやや疑問。言い換えると、表象においてすら(というか表象でない時間って考えづらいけれど)時間の一貫性には常に他者がいる筈で、ひょっとしたら我々は同一的なものを作ろうとしているときにその他者をすら欲望しているのではないか、と考えることが最近あるからだ。ちょっとまだあまりにも抽象的思考でしかないのでうまくいえないのだけれど、一貫性を求める欲望はその中に常にその一貫性を乱すことを求めている(でなければ一貫性という概念そのものが成り立たないから)んではないか、と。それがどういうことなのかはこれからの宿題ですが。