Or All The Seas With,

「警官が見つけて、持ち主が現れるまで保管しておく自転車があるよな。持ち主が現れないからぼくたちが安売りで買い上げるだろ、あれは持ち主なんかいないからで、それと同じで子供たちがよく買ってくれって持ってくるじゃないか、たまたま見つけたんだって、それはそのとおりで、工場で作られたものじゃないんだ。勝手に出来たんだ。勝手に出来るんだ。たたき壊して捨てても、また再生するんだ」(「あるいは牡蠣でいっぱいの海」)

いい。久しぶりにSF(藤子不二雄風に言うと「少し不思議」)読んだ、って感じがする。いや、少しどころじゃなくって凄く不思議でヘンな小説群です(奴隷制批判の「物は証言できない」とかなかなか綺麗な短編も多いけど)。スタージョンにも書いたけれど奇妙(クィア)なものに向ける視線の温かさも嬉しい(スタージョンよりさらに変態っぽくて好き)。お目当ての「あるいは牡蠣でいっぱいの海」(ここでは「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」との邦題。冒頭引用)は筒井のパロディ小説で名前だけ知ってたけど、予想以上に不思議。自転車とかネジとかが勝手に増殖していく過程が、何だか形が整っているのに(あるいは妙に整っているからこそ)気持ち悪い、それゆえにどことは言えないんだけど奇妙な形で生を実感させる身体のように、無闇にサイボーグっぽいというかつるつるしているというか。シームレスな感じでクィアだ。怖いわけじゃないのに妙に眠れなくなるよう。