20060804

 
ペーパー完成。Plowing the Dark論を軸にしたRichard Powersのidentity論で四章構成(プラス序章と終章)。以下、多分殆どの人が興味ないだろうけれど備忘録。
一章でパワーズ作品における他者同士の「不可能な出会い」について指摘、二章でそれが主体構成の問題であることを、三章でそれが他者への欲望であることを指摘、これら二つのジレンマとしてパワーズ作品においてアイデンティティと言うものが表象されていることを論じる。常に他者(パワーズにおいては特に歴史という他者)に呼ばれることによって構成されるアイデンティティは、しかしバトラー的に常にメランコリー状態として構成される。四章ではそうしたメランコリー状態が上に述べたようなアイデンティティのジレンマの問題であることを指摘して、小説の舞台である冷戦の終わりという時代性がいかにそこに絡んでいるかを論じる。
今年はパワーズ本人に会ったり一二度メールしたりしてある程度親しくなれたのはいいけどその分ベタに読んでしまう癖がついてしまったので、これはわりと批判的な距離が取れたのは良かったと思う。問題点は四章の時代性の指摘がちゃんと参考文献が十分に挙げられなかった点で、けどここを重点にすると単なるポストモダン論になってしまう(話の要点はそれが「イメージの戦争」の時代:構築物だと理解したうえでアイデンティティに乗っかった形でしか政治が行えない時代だということ)。良かったのは期せずしてパワーズの話を丁寧に読んでいこうとする中でGender Trouble→Bodies That Matter→Excitable Speech→The Psychic Life of Powerと続くバトラーのアイデンティティ観を概観・整理することができたこと。翻訳に向けたいい準備になったと思う。
 
基本的にゼミのペーパーなのですが、多分将来的に修論の一部になる気がするので、ここに謝辞を(ゼミのペーパー程度で大げさな!)。Tさんに、いつも勉強させていただいている感謝を。Sさんには刺激的な小説の読み方と、その抜群のsympathyに。Mさんにはその丁寧な読みに。NくんとYさんには同い年のライバルとしての刺激と、日々くれる笑顔に。Iくんには違う分野の最先端として、そして僕の分野でもしばしば圧倒的な知識と洞察によってくれる刺激と情報と沢山のくだらない話と思い出に。N先生には知識とチャンス、それからその面倒見の良さに。N先生には抜群の小説の読み方のセンスと寛大さに。Yさんには圧倒的な論理性と頑張っている姿をいつも見せてくれていることに。そしてM先生に、小説を読むとはどういうことかを教えてくれたことに。感謝。あー疲れた!