村上春樹『TVピープル』

TVピープル

眠りなんか必要ない、と私は思った。もし仮に発狂するとしても、眠れないことで私がその生命的「存在基盤」を失うとしても、それでいい、と私は思った。構わない。私はとにかく傾向的に消費なんかされたくない。そしてその傾向的消費を治癒するために眠りが定期的に訪れるのだとしたら、そんなものはいらない。私には必要ない。もし私の肉体が傾向的に消費されざるをえないとしても、私の精神は私自身のものなのだ。私はそれをきっちりと自分のために取っておく。それは誰にも渡しはしない。治癒なんかしてほしくない。私は眠らない。

こちらも再読。最近村上特集だったのは、一つにはシンポジウムで刺激されたからだったが、もう一つはシルヴィア・プラス『ベルジャー』読んでからなんか村上の小説でこんなのあったよなあ、と思ったんだけれど、それが何なのか思い出せなかったから。そしてやっと判明、この短編集に入ってる「眠り」って短編だ。女性が自分の身体のコントロールを取り戻そうとする過程が「狂気」として表象される、という極めてフェミニスト的テーマだが、村上の場合結局失敗に終わるものとしてこれを書いている。(「何かが間違っている。でも何が間違っているのか、私にはわからない。私の頭の中には、濃密な闇が詰まっている。それはもう私をどこにも連れていかない。手がぶるぶると震えつづけている」)プラスとの時代の違いもあるだろうが、こうして並べると村上のほうが今日的に見るとフェミニストな感じがして、興味深い。