She Calls Herself Natural Beauty
19h30@立川中華街。カマキリくんとジェイさんと、翻訳の完成を祝って。僕とカマキリくんは修論発表会の影響で酒が飲めないぶん、食べる。羊飯と海鮮おこげが美味。給料が出たので新しいヘッドホン(レトロっぽい白のパナソニック)を買うと、世界が変わった。二人と別れて二時まで研究室でGrant Green聴く。
- 作者: キャシーカルース,Cathy Caruth,下河辺美知子
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2000/05
- メディア: 単行本
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しかし何より衝撃だったのがショシャナ・フェルマンの「教育と危機、もしくは教えることの波乱」。証言のパフォーマティヴの教育は、それ自体単に認知的(あるいはconstative)なだけではなく行為遂行的で、「理解」を越えていなければならない。そうした態度は確かによく理解できるものだけれど、実際にそれを実行できる教師が何人いることか。しかしここでフェルマンの示す講義は、本を読んでいるだけの僕も時に涙し、時に胸が痛くなって何一つ出来なくなるくらいの衝撃を持っている(マラルメの自由律論とかツェランとか単純に勉強にもなった)。それを通り抜けた学生達が言語の喪失を経験し、フェルマンやら周囲の人やらに講義について「とにかく話したくなり、けれど話せないことを見出した」のもむべなるかな。それに対しフェルマンはその最後の講義で、ツェラン的にその喪失感―言葉しか残っていないというなかから、「あらゆるものが失われた中で、このひとつだけは残っている」言葉で語ることを教えてその講義を締めくくるのだが、いや、こんな講義に関わることができたら幸せだろうな。ほんと。