20060612

締め切り前、編集部はどんどん非人間的な環境になっていく。普通の企業人が定時の時間くらいから働き始め、普通の企業人が朝の満員電車に揺られるくらいの時間に会社を出る(家に帰ったら筆者の人から電話がかかってきたりする)。僕はアルバイトなので毎日そんな状況と言うわけではないが、それでも影響は被るわけで今週はなかなか研究が進まなかった。

ワンダー・ボーイズ (Hayakawa novels)

ワンダー・ボーイズ (Hayakawa novels)

肩の力を抜いて楽しめる、ゲイの(出てくる)スラップスティック・コメディを書かせれば現代アメリカ一(だと個人的には思っている)、マイケル・シェイボンの第二作。三年前に購入して以来積ん読(これって広辞苑にものってる言葉なんですね)だったのを見つけ出して読了。大作を書き途中で行き詰った中年の小説家(ヘテロ男性)が、数年ぶりにその編集者(ゲイ男性)と再会、自分の愛人の犬を撃ち殺してしまった自身の(創作科の)学生(ゲイ?男性)を、何とかして二人で「守ろう」とする。妻・仕事・才能・若さ・愛人etc...を失った中年男が、いかにして再び立ち上がるか、という古典的なプロットに、(シェイボン特有のやり方で)アイデンティティをめぐる物語が差し込まれる、というのが基本線。
 
フィッツジェラルドサリンジャーを足してクィアにしたような第一作『ピッツバーグの秘密の夏』以来彼の小説は常にゲイを(ごく当たり前に)中心的登場人物としつつ、ゲイネスの本質やゲイの生き方などは決してテーマにせず、むしろアイデンティティをめぐる「普通」の小説の中にそれを「背が低い・高い」「ニューヨーク出身である・地方出身である」といった他の属性と同レベルの、「普通の」アイデンティティ(・クライシス)として位置づける、というのを基本線にしてきた(『ピッツバーグ』は、とある魅力的なゲイ男性の出現によってそれまでの彼女との間にあったものが何だったのか、自分にとって「愛する」とはどういうことなのかわからなくなる若い白人男子大学生を巡る物語。基本的に若者のアイデンティティ・クライシスをめぐる小説なんだけれど、ゲイネスがそれを決して解消しないのがポイント)。

本書においては、やがて学生と編集者が関係を持った後主人公がそれぞれに感じる(学生には若さと才能、編集者には長年の男友達としての繋がりによる)嫉妬がどこまでホモセクシュアリティと見分けがつかないかが重要なポイントとなる。それがゲイネスだ、といわない(で、別にそれってなんて名づけてもいいじゃん的な態度を取る)辺りがシェイボンの好きなところなんだけれど。
 
【20060620加筆訂正】なんでフィッツジェラルドなんて書いたんだろう。全然違います。敢えて言うなら同時代人のクープランドやエリスと共に評されることが多いです。僕自身シェイボンは彼らに比べるとぜんぜんたいした小説を書いていない辺りが好きです。
 

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

有名な「歴史の天使」を含むベンヤミンの歴史哲学テーゼについての解説。しばらくぶりにベンヤミンを読むと、しみじみと脱構築歴史観(具体的にはスピヴァクデリダ)はベンヤミンに拠っていたのだなと実感。ヘーゲルハイデガーらの「時間は未来から到来する」という宇宙観に対し、(脱構築はそれを批判するけれどベンヤミンは「それもあるけどこれもあるよね」というスタンスな感じもするが)ベンヤミンは時間を非連続的なものと見、その中で過去への応=答(re-sponsibility)にコミットし、そうして訪れる過去の回帰の中に「来るべきもの」としての未来を見ようとする。
こうしたベンヤミンの態度が「(それでもやっぱり掬うべき対象としてみている時点で)過去をコントロールしようとしている」というスピヴァクの批判に反し、どこまで過去の(現在に対する)主体性を認めているのかが今ひとつ整理できないのですが。