What's queer about Queer Studies Now?
What is queer about Queer Studies Now?というタイトルの誌上討論会がCritical Inquiryであったのは数年前。
それからアカデミックな、それからノン・アカデミックな議論の空気は多少変化したけれど、「クィア批評のなにがヘンなのか(でありえる)」という命題はまだ未解決だし、だからこそ重要だ。とくにネオリベラリズムとアイデンティティ主義が手をとって機能しているような状況では。
一昨日指導教官と初の面談があり、こんな(だいたいは師匠から引き継いだ)話をしておおいに盛り上がる。
…その後なぜかガッツリ風邪を引き、木曜の授業は欠席。二日で30時間近く寝てようやくベッドから起き上がれる程度に回復。なによりもおなかがすきました。コンビニないとつらいなあ。
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The Body in Pain: The Making and Unmaking of the World
- 作者: Elaine Scarry
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
- 発売日: 1987/04/23
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予習とレスポンス・ペーパー(日本の大学で使われている語とは違い、授業の前に「本への」レスポンスとして書く、というのはカルチャー・ショックでした)提出を終えたうえでの欠席なのでかなしい。
前半の拷問と戦争の章、暴力の場において文化の解体(unmaking)と痛みが相互関係的に悪化させあうくだりは何度読んでもすごい。
スカリー自身の問題としては、彼女の言語観がreference model(言語は現実を映す/あるいはそれに失敗するものである)なので、彼女の論の中ではほぼ必然的に痛みのコミュニケーションが不可能になる、というところ。何とかしてそれをコミュニケーションに開くにはある種の公的空間の措定が必要だし、それには(これ自体痛みを伴うとしても)痛みを語るとはどういうことか、という言語観自体を変えなくてはいけないんじゃないか。
…こんなことを授業で読めなかったレスポンス・ペーパーに書いたのですが(ペーパー自体はメールで前日提出)、じつはこの本、M1のときに日本の大学院で某先生の授業で読んだのでした。
その当時はこんなこと考えなかった、というかunmakingとかmakingってなんだ、と混乱していたので多少も成長したのですが、それ以上に当時に比べて露骨に保守化したことを改めて実感してややショック。
海を見たことがないひとに
海を見たことがないひとに、どうやって海を説明しよう?
こちらでできた友達と研究(の方法論)話になるたびに、こんなポップ言語哲学的な寓話が顔をだす。
海を見たことがなければ海を説明できない(→文学は語りえない何かとの作者の葛藤である)、という友達に、
もっともロマンティックな答えは その人と一緒に電車にのって海を見に行くことだと思う、と答える。
優秀な友達がすぐ指摘してくれるように、それは−−説明する相手が海を見たいと思っていないときにはとくに−−暴力的でありうる。
だから、きっと大事なのは、海の経験をなるべく素敵な形で分かち合うために、海に行く前にもっとその相手と仲良くなることだと思う。
あるいは、旅程を楽しむために、どんなお菓子をもっていくか。いい時間をすごすために、ビーチボールや凧や釣竿やビーチフラッグや浮き輪や、なにを持っていこうか?ご飯はどうしよう?海の家の具のない焼きそばもいい、おにぎりを作って持っていくのもいい、マクドナルドでも海を見ながらなら美味しいし、ぜったいにビールは必要だ。
ああ、海に行きたいなあ。
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- 作者: Charles Dickens,Kate Flint
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Mary Barton (Penguin Popular Classics)
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The Body Economic: Life, Death, and Sensation in Political Economy and the Victorian Novel
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前週から、ポリティカル・エコノミーの言説(マルサス、ミル、ベンサムあたり)と、ビクトリア文学における 社会変革のための「感情教育」のテーマについて検討。
ディケンズで面白かったのは、物語終盤、功利主義者の銀行家が理想的な社会システムを「健全な、行為/支払いの流通システム」だ、と主張するくだり。この前後に「お前は心(heart)があるのか?」と聞かれた彼は、「もちろん心臓(heart)はあるよ。ハーヴェイ[血液循環を発見した解剖学者]がいうようにね」と答えるのですが、このとき彼のレトリックでは(1)人体の血液の循環と(2)貨幣の流通と(3)(慈善事業をふくむ)行為の交換システムが同心円状に重ね合わせられている。
人体/社会体(ソーシャル・ボディ)を重ね合わせる、あるいは社会を擬人化するレトリック自体は古典的なものだけど、ディケンズの場合には、価値の労働理論 VS 価値の交換理論論争、という明確な時代背景がある。前者、価値の労働理論(典型的には初期マルクス)において価値が身体化されるのは感覚的にも納得いくのだけど、後者、価値の交換理論も身体のレトリックに因っている、というのはすこし面白い発見でした。