There are more important things than childhood


つぶやいてはいたのですが、トロント帰宅後からひどい風邪をひいていました。いまも咳と鼻水は出るし頭は少しくらくらしますが(これはアメリカの強い薬のせいかも)、なんとか元気に学校にいっています。
風邪のくせに煙草を吸っていることを友人に突っ込まれたわけですが、体調がある程度良くないと煙草は美味しく感じないし、形といい大きさといい、これは煙草であると同時に体温計である、みたいなことをいってあきれた顔をされました。煙草とは体温計である。

        • -

取るつもりだった授業の初回テキスト。授業計画変更に伴いお蔵入り。

The Siege: A Family's Journey Into the World of an Autistic Child

The Siege: A Family's Journey Into the World of an Autistic Child

彼女は孤独な砦に住んでいた。強制的な、自作の、完全で確かな砦に。けれど私たちは彼女をそこにいさせ続けるわけにはいかなかった。私たちは侵入し、攻撃し、侵略しなければならなかったのだ。彼女がそこで不幸にしていたたからというわけではなく(そうではなかったのだから)、彼女が見つけた均衡は完璧なものではあったけれど、成長の可能性を拒否するものだったから。(12)

自閉症」という病は40年代に家族言説と発達心理学精神分析の言説に影響を受けつつ定義され(「冷蔵庫母仮説」)、60年代に医学化され、近年認知科学とのからみとのなかで再度着目を受けているわけですが、これは「最初期」の自閉症患者である娘を抱えた母の回想録。
タイトルが示すように、テキストは極めて明確に戦争の言説に依存している。適当にキーワードを引っ張れば、これは心の「砦」に閉じこもった娘に対し、母の愛という「武器」で「戦い」を挑んだ記録、というわけだ(ここで自閉症が"willed withdrawal"として描かれているのも一つの大きな特徴)。他方でこれは−−最初期の自閉症言説が明確にそうであったように−−自閉症をめぐる言説がいかに冷戦期のdomestic confinement(May, _Homeward Bound_)、つまり核の恐怖を前にした私的領域の価値の称揚を如実に映し出しているかの証左でもある。

ということから、「自閉症」自体が冷戦による文化的構築物だ、と言い出す気はないが、自閉症児をめぐる文化的表象に冷戦が落とす影を考えることはなかなか有用かもしれない、というのが読んだ感想。これは特に、「人間には興味がないコンピュータ/数学の天才」という文化的イメージとの関係から、(ここ数年テーマにしてる)「SFにおける冷戦」という問題に対して新しい光を与えてくれる、かもしれない。